刀水歴史全書1 
カタロニアへの眼 カタロニアへの眼
歴史・社会・文化

樺山紘一著



定価: 本体2300円+税
1979年7月刊
ISBN4-88708-000-X
四六判 289頁

在庫あり

電子版あり

西洋の辺境,文明の十字路カタロニアはいかに内戦を闘い,なぜピカソら美の巨人を輩出したか。カタロニア語を習い,バルセロナに住んで調査研究した歴史家によるカタロニア文明論
【主要目次】
第1章 カタロニア歴史評釈―時間をつらぬく眼で
 1.カタロニア論の配置
 2.固体のアイデンティティ
 3.個性の諸様相
 4.現代にむけての再生
 5.カタロニア史の精算
第2章 カタロニア周遊行―空間を這う眼で
 1.バルセロナの町
 2.バルセロナ近郊
 3.北へ
 4.ピレネーへ
 5.南へ、そして西へ
第3章 社会と文化との現代的変容―接物拡大レンズの眼で
 1.現代カタロニアの諸局面
 2.南モンセラト地方―川と平野と山
 3.人口動態から
 4.農業の現状と変容
 5.二重言語状態の現在
第4章 現代芸術の革命家たち―審美する眼で
 1.1970年代、バルセロナ
 2.1936年、スペインをめぐって
 3.1901年、バルセロナ
 4.自然の素材とモチーフ
 5.民主の音と造型
 6.歴史のなかから
 7.地方性と普遍性と
 8.内なる二律の燃焼
 9.存在へのこだわり
 10.転身・再生の美学
あとがき

【自作再訪― 「朝日新聞・読書欄」04年12月19日掲載

 歴史と芸術家の宝庫ひたすら歩いた日々 

カザルスやピカソが輩出したスペインのカタルーニャ(カタロニア)地方を周遊し、複雑な歴史や文化の現状を鋭い感性でとらえた文明論・芸術論。79年刊。刀水書房。

 「1972年、そのとき勤務していた京都大学人文科学研究所から、ヨーロッパ調査隊が派遣された。いまさらなにも文明国の調査でもあるまいという声をよそに、わたしはさしたる根拠もなしに、スペインのカタロニアを選んだ。多少ともスペイン語を読めるという、単純な理由で。じつは、カタロニア語という固有言語があるということも、視野にはいっていなかった。もっとも、当時の日本にあっては、G・オーウェルの『カタロニア讃歌』ぐらいしか知られていなかったのだが。
 社会調査と歴史の勉強、それになぜか美術館をみてまわろうと考えた。それぞれにいちおうは、理由があった。フランコ政権下のスペインでも、激しい社会変動があるらしいこと。地中海とスペイン国家のなかでの、カタロニア史の多層性。そして、ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリら現代芸術の宝庫であること。どれも理解達成の成算のないもくろみから選択したカタロニア。
 それでも、バルセロナとその近郊に拠点をかまえて、ひたすら現地を歩いた。なかでも、ピレネー山脈の谷奥に、ロマネスク聖堂を発見したときには、たいそう興奮したものだ。
 こうして断続する数年間の調査をもとにして、『カタロニアヘの眼』を書いた。まったくの若書き。溌剌というよりは、だだの粗削りのままで、本になってしまった。けれども、もちろん歴史家としての自負もある。スペインであれ、フランスであれ、またはイギリスであれ、近代国家として体をなした対象のことをかたるのは、芒洋としすぎて、いかにも凡庸にみえた。さりとて、ちいさな町や村のことを追跡したとしても、極東の研究者としての存在感の希薄さは避けがたい。
 せめて、カタロニアぐらいの規模とプレゼンスを主張し、地域としての完結性をたもつ相手をえらびだいものだ。かなりの覚悟で、カタロニアに沈潜してみた。なにせ、あまりにも軽視されてきたとの義憤もあったものだから。
 そののち、カタロニアの首府バルセロナではオリンピックもあり、ガウデイの建築はCMフィルムのバックにもなる。ミロもダリも、カタロニアという個性によって語られるのがふつうだ。かなりのメジャー・ネームとして、認知度をたかめた。かつてバルセロナには、ほんの数十名にもみたない日本人が住むだけだったが、いまでは数千人におよぶという。たいへんな変化である。
 その変化に応じて、わがカタロニア論もほんとうは改訂版を出しつづけるべきだったろう。初版から25年、記述はかなり現実とズレを生じている。賞昧期限切れかもしれない。とはいえ、いったん文庫版になったものが品切れなのに、刀水書房の元版はいまだに、書店の棚の隅にある。まだまだ、ほそぼそとながら、熱心な読者に恵まれているのだとすれば、こんな幸せはない。」(かばやま。こういち/国立西洋美術館長・歴史家)

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