西洋史学 2013 No.249

坂井榮八郎著
『ドイツの歴史百話』

刀水書房・2012年11月刊・四六判・
xii+319頁・本体価格3,000円

誰しも歴史を体験した人物の語りを聞くときほど、直に歴史に触れて興奮を覚える瞬間はないだろう。語り、そして紡がれる言葉の一つ一つは、その人物の体験した歴史のみならず、その人自身の「生き方」をも反映し、しばしば一種のドキュメンタリー映画を見ているような気分に陥ることさえある。ドイツ近代史を専攻として、半世紀以上にわたりドイツ史に携ってきた著者が、ドイツ史研究者というよりもむしろ「語り部」というスタンスをとり、エッセイという形態で綴る本書も、そうした生きた歴史を伝えてくれる良書の一つであるだろう。
 本書の構成はそのタイトル通りドイツ史に関わる百のトピック、著者の言葉を借りるならば、「ドイツの歴史と付き合ってきた中で私自身が出会った出来事、エピソード、あるいは「ちょっと気になること」[「はじめに」iv]を扱ったエッセイが時代順に配置されている。これら百のエッセイは、古代ローマ帝国から東西ドイツ統一後の現代までの幅広い時代を射程に入れ、その内容も近年のドイツ史研究の成果をとり入れつつ、政治史のみならず社会史や文化史、そして著者の自分史にいたるまで多岐にわたっている。このような時代的にも内容的にも広い範囲を扱いながら、著者自身の「私のドイツ史」を語ることが本書の目的となっている。また、百に及ぶ各エッセイは平均三頁程度で構成され、それぞれ独立した話となっており、読者が様々な場面の合間に読むことができるよう工夫が凝らされている。
 しかし上記の説明であると、質的にも量的にも到底一冊では収めることのできないボリュームに及ぶ内容を、時に必要な情報を削ぎ落とし、エッセイという形態を借りることで半ば無理やり一冊の本として成立させたような印象を与えてしまうかもしれない。しかしそのような印象は、本書を一読すればたちまち払拭されるはずである。というのも、本書ではドイツ史の要所が満遍なく押さえられている上、概説が必要な箇所は簡潔にまとまった説明が逐一施されているからである。エッセイという形態をとりながらも、その学術的な質を損なわぬバランスで書き上げることに成功している本書は、著者の経験の豊かさゆえに成せる業であるだろう。
 そして本書の最大の醍醐味は、やはりその「語り」にある。著者は本書について以下のようにも述べている。「自分の歴史家人生で出会ったひと、出会ったこと、出会った本のことなどを、感謝の気持をこめて書き連ねたエッセイ集である」[「おわりに」(318-319頁)]と。まさしくこの「感謝」の姿勢は、著者の語りの細部にまで通底している。
 著者と縁の深い西洋史研究者は勿論、歴史研究という舞台の上で「出会ったひと」との挿話が随所に散りばめられたドイツ史の語りは、単なる概説の域を超えて、著者を中心に広がる人間模様を巧みに織り込んだドイツ史の一面を浮かび上がらせてくれる。そしてこの人間関係を通じて連鎖的に生じる「出会ったこと」が、著者のドイツ史の語りに更なる色を付けている。また、この語りが注釈にまで徹底している点にも注目しておきたい。参考文献が挙げられている注釈に目を向けてみると、日本語で刊行されているものを中心に、著者と本とのエピソードを交えつつ丁寧に紹介されており、「出会った本」への謝意とともに、これから歴史を学ぼうとする読者への入門書としての配慮がなされているのである。このように、著者によるドイツ史の語りの中に織り交ぜられたあらゆるものに対する「感謝の気持」は枚挙に暇がない。この語りは時にドラマのような展開をみせながら、著者の目的である「私のドイツ史」により鮮やかで活き活きとした表情を与え、本書の魅力を最大限に引き出しているのである。
 このように「語り部」という立場から語られるドイツ史は、ドイツ史全体の流れを浮かび上がらせるだけではなく、同時に一人の歴史家が眺めるドイツ史、言い換えれば著者が歩んできた歴史家としての「人生」をも浮かび上がらせる独自の視点を提供してくれる。本書を通じて著者が説く歴史を学ぶ面白さ、同時に存在する辛さ、そしてそれを乗り越える達成感を共有することができれば、それこそ著者の歴史家冥利に尽きるのではないのだろうか。ひょっとすると本書を読み終えた時、百のトピックの選別に「偏り」を感じる方がいるかもしれない。しかしその「偏り」こそ、語り部である著者が歴史家として歩んできた紆余曲折の軌跡であり、それもまた一つの「歴史」なのである。       (住友一木)