9号“史学概論”(未定稿)後藤均平

      1. “史学概論”とはなにか
      2. 「史」字解
      3. 記録ということ
      4. 時期区分
        東洋史年代表
      5. 史料の性格―中央と地方
      6. 史料の探索例
      7. 歴史の叙述―文学との対比



1. “史学概論”とはなにか

 “史学概論”という名のこの教室に集まった諸君の中で、この“概論”を聴講したら、歴史学の本質がわかる、と安易マジメに思う人がいるとすれば、その方がたに申しあげる。たぶんあなたがたが期待しているのは、「歴史哲学」というものであって、それは、史学とは無縁である。E・H・カーや、S・K・ポパーやら、それを日本語に訳した書物、及びそれを祖述している人たちの論考、以上をひっくるめてその人たちが、史実究明という、苛酷だがまた楽しい歴史の学習に、どれだけ首をつっこんでいるか、いないか。いない。彼らは、一般の歴史事実―これこそわれわれの財産なのだが―それを財産ではなく、適宜に引き利用しているに過ぎない。
 だから彼等の書は、いわば哲学の分野に属するものであって、それはそれなりにイミがあっても、歴史学の分野ではない。そこに述べられ思索されているのは、しょせん「哲学」であるから、史学と取り違えてはならない。史学と哲学は、無縁である、とは言えないけれども―「学」の系として―、探究の場を異にする。したがって、哲学を学びたい諸君は、教室を間違えた。呉服屋の看板を洋服屋と見誤って店に入り、洋服が無いといってさわいでもいたしかたないのである。(ここで第一の引導を渡す)
 つぎに、「史学概論」という専門科目は、学問分野には無い、ということを知っておいていただきたい。学問ではないから、これはつまらん科目である。つまらん科目をなぜ置いてあるか、これには歴史がある。
 明治政府が西洋の文明を輸入摂取するとき、あらゆる学問分野で、西洋の専門家を招聘した。これを「御雇外国人」と呼ぶ。医学のベルツ、理工学のモース、農学のケルネル、法学のボアソナード、…枚挙にいとまないが、文科大学(東大文学部の前身)の歴史学では、ドイツ人のリースが有名である。彼は1887年に着任し、「史学科創造以来之レガ教授ノ任ニ当リ、……学生を開導シ、以テ斯学ヲシテ発達ノ域ニ齎ラシメシハ彼レガ与リテ多キニ居ルトイフベク…」と讃えられている(東大関係雇外国人教師書類)。
 このリースの提唱で、東大史学科の中に、「史学研究法」という科目が置かれた。西洋ですでに整っている(第三講を参照)史料の蒐集、その分析、その記述の方法を教えたのである。彼は1899年に帰国したが、「史学研究法」は残って、史学科の必須単位となり、西洋史の教師が代々担当することになった。その成り立ちから考えて、西洋史に属するのは理の当然である。「史学研究法」はいつしか「史学概論」といういかめしい名に変り、今日までつづいている。これが歴史である。
 私は学生のとき、1947年度に、村川堅太郎教授の「史学概論」を聴講した。下宿は村川先生の隣りだったから、朝の一時限(8:00―10:00)の概論講義ゆえ、護国寺前の都電停留所で2度ほどお目にかかったことがある。先生は朝から微醺を帯びておられた。うかがうと、「史学概論なんざあ、飲まなくってしゃべれるかい」とのこと。先生はすでに、史学概論という科目はイミがない。人間のカラダにたとえれば盲腸のようなものだ、と思っていたにちがいない。私は欣然として聴講をやめた。
 しかし必須単位だったから、これを取らねば卒業できぬ。次年度の林健太郎先生の「史学概論」、これもつまらなかったが、林先生は、「試験はリポートにする。何んでもいいから歴史書を一冊読んで提出せよ」というので助かった。今井登志喜先生の『歴史学研究法』を本郷の古本屋で見つけて、ゴマを擂ったが、評点は「乙」(今でいう「B」)だった。
 というわけで、「史学概論」は親ノカタキデゴザル。明治の世ならいざ知らず、教える方も教わる側も無味乾燥で、評判が悪い。悪いからいつの間にやら、史学科の必須課目から選択科目になった。これまた理の当然で、選択なら、無くてもいいのである。私が1965年から70年まで居た新潟大学人文学部の史学科に「史学概論」なるものは無かった。それが賢明な措置で…、何故かというと、概論なるものは、歴史学としての具体性―学問性―を持たぬからである。だから聴く方もしゃべる側も、そんな時間は個別の歴史研究に使えばよろしい。世に「史学概論」を専門とする者が居るやに聞くが、概論は専門課目ではない。歴史研究者として恥づべきことといわねばならぬ。
 しかしこの大学には延々と「史学概論」が選択科目として続いている。何故か。井上幸治という偉い西洋史の先生が、この科目を担当されていたからである。先生はフランス近代史の専門家である、だけではなく、日本の秩父事件の研究者として匹ぶ者なし。その先生が説く井上史学概論は、聴講者をして魅了せしめた、という。そういう講義ならあってもいいのである。(その一斑は平凡社『国民百科事典』〈1976年版〉「歴史」の項でうかがい知ることができる)しかしこれは井上史学があってのことで、余人を以てしては遠くおよびがたい。
 その井上先生が1978年を以て本学を停年退職された。とたんに「史学概論」を誰れが担当するかが問題になった。学科の会議で私は以上の歴史をのべて以下の提案をした。
 @、この科目を廃止しよう。A、存続するなら西洋史が担当すればよろしい。B、西洋史の専任がイヤだというなら、井上先生に非常勤でお願いしたらどうか。
 ところが西洋史は「史学は日、東、西で成り立つ。その概論を西洋史だけが分担するのは不当だ。また非常勤にお願いするのは本学史学科の権威にかかわる」というのである。これは歴史性にも反し、権威の亡霊に満ちた発言だと今でも思うが、日本史は沈黙し、東洋史また助言なく、「史学概論」は日、東、西で公平に分担持続する、ということになった。
 それから幾星霜を経て、順番を重ねて、「史学概論」を受け持つことになった。なった以上、責任は果たさねばならぬが、以上しゃべったように、これはつまらん学科目である、制度から見てもそうである。「史学概論」があって、「文学概論」という科目があるか。
 おかしなことばかりだが、いたし方なく私はしゃべる、おかしなことにも理があるか。諸君はもっとマジメな科目に就いて学んだらよろしい。
 (こう説いて引導を渡したが、受講者は減らなかった。ああ!)


1章のみ掲載
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この原稿は、後藤先生が小社『越南義烈史』を出された直後、小社の編集の仕方を気に入って下さり、日本史の某、西洋史の某々先生と三人で『史学概論』を書きたいと言われ、実に楽しそうにプランを語って下さった幻の名著です。残念ながらまもなく病に伏されて未刊に終わりましたが、この未定稿でも名著の片鱗は見て頂けるでしょう。特に奥様のご許可を頂いて、ここに掲載する次第です。編集者の未練でしょうか…(N)